製鉄、鉄骨の歴史
1979年5月 パソコンPC-8000シリーズ発売される その鉄骨に及ぼす影響
世界で初めてのCPU = 即、安い電卓としてものづくりに貢献 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(1) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(2) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(3) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(4) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(5) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(6) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(7) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(8) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(9) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(10) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(11) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(12) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(13) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(14) 嶋正利のプロセッサ温故知新 - 世界初のCPU「4004」開発回顧録(15) この後、半導体技術はものづくりにかかせない道具となるので記載する アレキサンダー•グラハム•ベルは 場所: 大阪市西区境川86番地 横河民輔が設計した旧三井本館(三井総営業本店)、 日本で初めての近代的製鉄所 1901年(明治34)2月5日、日本で初めて近代製鉄が誕生しました。 日本初の高炉 日時: 1854年12月1日 場所: 岩手県釜石市鈴子町 800年頃の製鉄炉 茨城県結城郡八千代町の尾崎前山遺跡は 古代の製鉄炉
紀元前2,000年頃~江戸時代 たたら製鉄炉
1947年 トランジスタ発明 アメリカ がこの後ものづくりに大きな影響を及ぼすとは
1876年電話機の発明に成功し特許をとる。
その特許のもとに電話事業を展開したベルシステム社は大儲けする。
そのころの日本は明治維新から9年を経たが
神風連の乱、萩の乱、秋月の乱等政府と喧嘩していた時代である。
電話は今まで何時間~何日も掛かっていた
情報の伝達を瞬時に行える便利なものであった。
アメリカ中に張り巡らされた電線からは莫大なお金が生まれた。
その資金で設立されたのがベル研究所。
ウィリアム・ショックレー氏、ジョン・バーディーン氏、
ウォルター・ブラッテン氏ら3人は
写真にあるようにゲルマニュウムの結晶に
先のとがった電線を接近して接触、
片方の電線に流す電流を少し変化させると
もう一方の電線に流れる電流が大きく変化する現象を発見、
これを増幅に利用できる可能性に気付いた。
それからの数か月大いに研究した。
この研究は、固体による増幅素子の発明として、
1948年6月30日に発表された。
この功績により、1956年のノーベル物理学賞を受賞している。
その後、点接触型から接触型さらにゲルマニュームからシリコンに変わると真空管のシェアーを、
瞬く間に奪っていった。
1960年 世界初のCADが開発される
1907年2月 日本初の鉄工所
残念ながら当時の写真はなく
この写真は2000年頃のものです。
前回と重複するが
日本の建設業発展のためには、
品質面で納得のいく鉄骨部材を国内で自給出来る環境が必要だと考えていた
民輔は、自前で鋼橋や建築鉄骨などの製作組立を行うため、
翌40年には、横河工務所から分離独立させて新会社としたのである。
すなわち、横河橋梁製作所の創業で
東西2工場の建設
創業当初は、折からの不況の影響をもろに被ったが、
徐々に仕事量も増加していった。
明治44年には、鉄道院(後の鉄道省)の橋桁製作工場に指定され、
事業も安定するに至った。
これと符号するように大阪の工場を拡張し、
創業時500坪だった敷地
さらに1914年(大正3年)東京へ進出、
工務所の工事機材置場にしていた東京市深川区の土地約2,000坪を整備し
、新たに東京工場を設けた。
これにより横河橋梁製作所は、
東西に鉄骨構造物の加工を行う専門工場を有する体制を確立した。
この間、現存する当社最古の製品である 大和川橋梁(明治43年)、
当時としては最大級の跨線橋であった八ツ山橋(大正2年)などの
鉄道橋や道路橋、三越呉服店本店(大正3年)などの建築用鉄骨を手が
当社の卓越した技術力を世に示したのである。
1902年 日本初の本格的鉄骨構造
明治35年(1902年)竣工(写真:三井広報委員会)
この建物は関東大震災で惜しくも倒壊してしまいました。
民輔は、三井元方(後の三井本社)時代、
日本初の鉄骨構造による建築物である三井総本店(明治35年竣工)の設計・施工を手がけ、
アメリカ仕込みの近代的かつ合
日本の建設業発展のためには、
品質面で納得のいく鉄骨部材を国内で自給出来る環境が必要だと考えていた民輔は、
自前で鋼橋や建築鉄骨などの製作組立を行うため、
明治39年に横河工務所の工場(大阪市西区)を開設した。
翌40年には、横河工務所から分離独立させて新会社としたのである。
すなわち、横河橋梁製作所の創業で
横河民輔のその他の作品 1、第一生命本社ビル 2、山家橋
明治政府は、「殖産振興、富国強兵」をスローガンの1つに掲げて、
製鉄所設立を目指しました。
1896年(明治29)3月30日議会の承認を得て、
「製鉄所官制」が発布されましたが、製鉄所の設置場所としては、
背後に炭田を控えていることや、防備に優れ
八幡村が選定されました。
工場は1898年(明治31)に本格的な建設に入り、1901年(明治34)2月5日、
東田第一高炉に歴史的な火入れが行われ、
日本で初めて近代製鉄が誕生しま
1889年 エッフェル塔
1851年 水晶宮
写真右高炉の図面
日本では長い間、砂鉄を原料とした「たたら製鉄法」による鉄づくりが
行われてきた。
そして外国船の来航など国防上の理由から、
この砂鉄銑を用いた反射炉で大砲鋳造を行ってきたが、
砲身にき裂が入りやすいなどの問題があり良質な銑鉄が求められていた。
大砲鋳造の技術者として水戸藩に招かれた南部藩士・大島高任は、
良質な銑鉄を製造するためには洋式高炉が不可欠であることを痛感し、
南部領大橋(現在の釜石市大橋)で高炉の築造、操業に着手した。
大橋を含む釜石一帯は、鉄鉱石の豊かな鉱脈を持ち、
動力源の水車を回す橋野川、燃料の木炭を大量に供給できる森林、
周辺の労働力などがそろった製鉄業には大変優れた立地であった。
1857年(安政4年)12月1 日(新暦で1858年1 月15日)、幾多の試練を乗り越え、
高任は日本初の洋式高炉による出銑に成功した。
その後南部藩は釜石(大橋、橋野、佐比内(遠野)、
砂子渡、栗林地区)に合計10座の高炉を築造、
このうち橋野三番高炉は36年間操業することとなった。
明治維新後、1880年官営製鉄所として操業を開始したが、
政府は高任からの「小さな10トン高炉を段階的に5 基に増やす
(合計50トン)」という進言を退け、
25トン高炉を2 基立ち上げる外国人技師の案を採用。
この計画はわずか2年で失敗に終わった。
その後、製鉄所関連設備は民間に払い下げられ、
東京の「鉄屋」社長の田中長兵衛と横山久太郎は大島高任の
「小さく生んで大きく育てる」思想を取り入れて小さな高炉を築造。
1886年10月16日、高炉吹入れ49回目で連続出銑に成功することとなった。
縄文、弥生、平安の複合遺跡です。
ここには8~9世紀に操業していたと考えられる製鉄遺跡があります。
炉の形式は竪型(箱型製鉄炉)です。
炉の周辺には砂鉄や炭などの材料置き場のほか、
炉をつくるための粘土の置き場のあとも認められます。
遺跡の跡を元に復元実験がおこなわれ、
斜面を駆け上る自然送風を利用した炉だったと考えられます。
下の絵は、現地の案内板に書かれた操業当時の様子です。
写真は復元実験をもとに現地に再現された炉の模型です。
自然送風は筑波降ろしという強い風の力を利用したとも言われていますが、
実際に現地をみると筑波山はかなり遠くにみえ、山を駆け上る、
駆け下りる風との関係はち
むしろこの様な地形も一部ふまえた季節風の活用と考えたいきがします。
紀元前500年ころ の製鉄
(復元模型)
真ん中にある穴に木炭をつめて、その真上に炉を粘土で築きます。
この炉の中に鉄鉱石、砂鉄といった原料や燃料の木炭を入れて、熱して鉄を作っていました。
なお、炉は操業後に解体します。
紀元前3,000年頃にも鉄を使った道具が発見されていますが、
成分を調べると隕石(隕鉄)を使っていたようです。
たたら製鉄 日本独自の製鉄方法
炭と砂鉄を交互に入れ側面下部の穴からフイゴで風を送る。
当時、純度、強度世界一で日本刀に使われた。
たたら製鉄は鉄原料として砂鉄を用い、
木炭の燃焼熱によって砂鉄を還元し、鉄を得る方法です。
たたら製鉄には2つの方法があります。
1つは砂鉄からいきなり鋼を作るケラ押し法(直接製鉄法)、
もう1つはズク(銑鉄)を作ることを目的とするズク押し法です
ケラとは、鋼のもとになる塊で、ご存知のように鋼は叩いたり、
伸ばしたりして鍛えることができ、しかも焼きを入れて硬くすることができますので、
日本刀をはじめ
ズクは炭素量が高く、溶け易いので鋳物にも用いられますが、
大部分は大鍛冶場(おおかじば)に運ばれて炭素を抜き、左下鉄(さげがね)と呼ばれる鋼や、
さらに炭
用いる砂鉄も2種類に大別されます。主にケラ押し法に用いる真砂(まさ)砂鉄と、
ズク押し法に用いる赤目(あこめ)砂鉄です。
真砂砂鉄は酸性岩類の花崗岩系を母岩とし、チタン分が少ない。
赤目砂鉄は塩基性岩類の閃緑岩(せんりょくがん)系を母岩としチタン分が多く、
TiO2として5%